未来世紀さいたま
velvet-r00m:

Wats hatnin

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goodmorningkitten:

Monti, Tucker, JT & Jack [redux] (23 more photos)Courtesy and copyright: Michelle Peters Spivack


右端、一歳の頃の息子みたいな顔してる。

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Courtesy and copyright: Michelle Peters Spivack

右端、一歳の頃の息子みたいな顔してる。

会話が苦手な人が信じている事が三つある。反論は自分への攻撃、人は見下すか見下されるかしかない、意見が同じである事が仲良くなる事。会話が上手な人はそれらに従わない。許容し、裁かず、自尊する
hummingatuune:

カルピスウォーター新CM発表会見

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カルピスウォーター新CM発表会見

知識や知性には段階がある。
 誰も生まれたてで掛け算などできないのと同様、掛け算ができなければ高校の微分積分はできないだろうし、高校の微分積分ができなければ大学の解析学はできない。
 少しずつステップアップすることによって、高度なものを「難しい」と感じることなく理解することができるようになっていく。

 ところが、このステップに乗り遅れる者もいる。
 脱落してしまった彼らは口々にこう叫ぶ。
「本当に頭の良い人は、誰にでもわかる言葉を使う」
「頭の悪い人に限って、知識を見せびらかそうとして難しい言葉を使う」

 だが、そのすべてが誤りである。

「xとyが比例するとは、どういう関係?」
と聞かれて、もっとも簡潔に答えるなら、
「y=ax(aは定数)が成立するようなxとyの関係。」
と答えるのが一番「わかりやすく」、明示的である。
 ただ、この際、中学校の数学レベルについてきていない者は「もっと具体的に」などと言い出すわけである。そこでグラフを描いて見せたり、購入したりんごの数と値段との間に成立するある種の摩訶不思議な関係について解説してみせたりなどすると、「最初からそういえばいいのに」といった態度を取る。ひどい場合には「わざと難しく言った」といった被害者意識まで持つのだ。

 そのすべてが誤りである。

 この言葉の使用は、「本当に頭の良い人」という架空の概念を用いることで、「わからない」という避けがたい事態の原因を、「自分の能力の低さ」から「相手の能力の低さ」へと移行させるための、よく用いられる手続きに他ならない。
 高校教師や予備校教師が「あの先生の授業、わからない!」と言われる場合にもしばしば該当する。

 彼らが漠然とイメージする「本当に頭の良い人」とは、せいぜい彼らに日常的な算数(おつりの工夫のしかた)や、たかが知れた四字熟語(『同語反復』など)を、彼らにもわかりやすく教えられるような程度の人物にしか過ぎない。
 自分が理解できる範囲だけが真実なのではない。

本当に頭の良い人はわかりやすく書く - 名言と愚行に関するウィキ (via tsundere) (via nagas) (via stratums, sirchronofrost)
2009-08-11 (via gkojay) (via ssbt) (via vevev) (via glasslipids) (via laurierplus) (via makototz) (via ittm) (via fishandmush) (via aspara) (via ag107) (via kanpo0324) (via motomocomo) (via akasofa) (via rpm99) (via replore) (via makepura) (via igaki) (via ochiyan) (via wideangle)

誰にでもわかるように話してくれる人は大概詐欺師

(via nencallas)

(via ken-un) (via giraffe-patterns) (via pcphr) (via ltcmdr927)

(via dottoyaji) (via hughughug) (via skgwt6v) (via sanpotekuteku) (via yellowblog)
yellowblog:

高HPのキャラが何十回も斬られて死なないのは、ゾンビになったとか人間やめたとかじゃなくて、こういうことだったのか! | @attrip (アットトリップ)

長年の疑問が解けた…!!
私たちは旅先で思う。見知らぬ、興味深い土地にいるからこそ自分はいま幸せな気分なのだ、と。そうではない。私たちが幸せを感じるのは、自分は今見知らぬ、興味深い場所にいるんだという思い込みが、私たちに知覚という槍を普段の二倍の力で投げさせるからである。
 トムが楽しげに塀のペンキ塗りをすることによって、友だちをペンキ塗りに誘い込むとき、トムは彼らをだましているわけではない。友だちは事実ペンキ塗りを楽しんでいるのだ――塀のペンキ塗りはつまらない行為だという思い込みはもはや捨て、自分の情熱をすべてペンキ塗りに注ぎ込んでいるからである。
 退屈だ、嫌だ、と私たちが思い込んでいるものが人生には多々ある。だが実はそういうものも、私たちが金を払って手に入れているもの以上に退屈でも不快でもない。すべては私たちの態度によって決まるのだ。退屈な人生やわくわくする人生があるわけではない。私たちが退屈したりわくわくしたりしているだけだ。」 (『超読書体験』から)
pedalfar:

(via Women Management Blog)

シングルマザーが乳児二人を抱えて働きながら生活する。
育児もして、家事もして、仕事もする。
正直言って、これは無理なことだと思うんです。
彼女は、生活保護を受けて良かった。受ける権利がある。
でも、受けなかった。
それは何故なのか。制度はあるのに、条件も恐らく整っていたのに、彼女はその選択をしなかった。
子どもが小さい間だけでも、行政の保護を受けていれば、今回のように急な夜勤に振り回されることも無く、安心して我が子の側に居てあげることができたはずです。
でも、彼女はそうしなかった。

今回の事件は、そこを、考えなければならないのではないかと思います。
これは、貧困問題です。
母親の責任や個人の育児論に矮小化してはいけない。

今回の事件は、構造的な貧困問題だという指摘は、すでに多くされていると思います。

これをきっかけに、シッターサイトやベビーシッッティングを規制するのではなく、子どもを持つシングルマザーが急な夜勤のある仕事につかなくても、安心して暮らせる環境にいられる状態を行政が作るべきだと。